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宮崎駿監督最新作をもっと楽しもう!『風立ちぬ』徹底解剖!

今週のクローズアップ

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今週のクローズアップ 宮崎駿監督最新作をもっと楽しもう!『風立ちぬ』徹底解剖!

 7月20日に公開され前作『崖の上のポニョ』(最終興収155億円※配給調べ)を超える大ヒットスタートを切った宮崎駿監督5年ぶりの新作『風立ちぬ』。本作の主人公・堀越二郎が歩む人生には、実在した2人の人物、堀越二郎堀辰雄の人生が反映されている。宮崎監督は、なぜ異なる二人の人物の人生を融合させたのか? 今週は、宮崎監督の発想の根源を追究。最新作の魅力を検証したい。

スタジオジブリが初めて実在の人物を主人公に!<br>
堀越二郎と堀辰雄

 スタジオジブリが長編作で初めて実在の人物を主人公にした映画『風立ちぬ』。2012年12月13日、その製作が発表されたときに公開されたポスターには、「堀越二郎堀辰雄に敬意を表して。いざ生きめやも。」の文字が刻まれていた。二人には同じ年に旧制第一高等学校に入学し、その後東京帝国大学を卒業、同時代を生きていたという以外に交友関係どころか共通点もなかったと考えられる(以下の二人の経歴を参照)。映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎は、宮崎監督いわく、そんな二人を「ごちゃまぜ」にし、一人の主人公“二郎”に仕立てたキャラクターだ。

 

映画『風立ちぬ』の主人公・二郎
(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK

堀越二郎


◇航空技術者、工学博士
◇零式艦上戦闘機(通称・ゼロ戦。大日本帝国海軍が日中戦争から太平洋戦争全期にわたり使用した主力艦上戦闘機)の設計主務者として著名。
◇東京大学、防衛大学校、日本大学などで教鞭(きょうべん)を執る。
◇著書に「零戦 その誕生と栄光の記録」「零戦の遺産 設計主務者が綴る名機の素顔」など。
 

堀辰雄


◇作家
◇著書に「風立ちぬ」「菜穂子」など。
生年月日:1903年6月22日生
出身地:群馬県藤岡市出身
  生年月日:1904年12月28日
出身地:東京市麹町区(現・東京都千代田区)
出身
学歴:
群馬県藤岡中学校卒業
  学歴:
東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業
1921年 旧制第一高等学校 入学
1924年 東京帝国大学工学部航空学科 入学

1927年 三菱内燃機製造(現・三菱航空機)入社
1929年~1930年 社命によりヨーロッパ・アメリカを巡りドイツの飛行機会社ユンカース社などを視察
1931年 主務者として初めて「七試艦上戦闘機」の設計に着手
1933年 「七試艦上戦闘機」初飛行→失敗に終わる
1937年 設計主務者としてゼロ戦の開発に着手
1939年 ゼロ戦の初飛行を成功させる
1963年 新三菱重工参与を最終役職として退職、以後東京大学講師、防衛大学校教授、日本大学非常勤講師などを歴任

1982年 死去(享年78歳)
  1921年 旧制第一高等学校 入学
1925年 東京帝国大学文学部国文科 入学

1926年 中野重治らと同人誌「驢馬」を創刊
1930年 最初の作品集「不器用な天使」を改造社より刊行
1933年 軽井沢で後の婚約者・矢野綾子と出会い、翌年婚約
1935年 綾子と共に八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に入院 同年、綾子死去
1936~1938年 小説「風立ちぬ」執筆
1941年 小説「菜穂子」発表

1953年 死去(享年48歳)
堀辰雄の小説「風立ちぬ」そして、結核という病

 タイトルに20世紀フランスを代表する「偉大な知性」として認められた詩人ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の一節を引用した堀辰雄の小説「風立ちぬ」(1938)は、主人公である「私」が、重い結核を患った婚約者・節子と共に、自然に囲まれた療養所で残された時間を支え合いながら過ごした日々を描いた作品だ。堀自身、軽井沢で知り合い、後に婚約者となる矢野綾子と共に、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に入院し綾子が亡くなるまでの時をそこで過ごしており、「風立ちぬ」は、堀の実体験を基に書かれた小説となっている。また堀の著書では、芥川龍之介と片山広子の恋に着想を得て執筆したといわれる「菜穂子」(1941)の主人公も結核を患っており、この本のタイトル「菜穂子」は、映画『風立ちぬ』のヒロインの名前として採用されている。

 医学博士・田尾義昭の著書「結核はいま」(文芸社刊 1997)には、「昭和16~20年の太平洋戦争によるわが国の(※編集部注:民間人の)戦死者数は約80万人に上りますが、この間の結核死亡者数もほぼ同数といわれており」との記述がある。結核は、1943年に治療薬が発見されるまで、「国民病」「亡国病」と恐れられた不治の病だった。幕末の志士・高杉晋作沖田総司新撰組)や、明治時代の俳人・歌人である正岡子規、作家・樋口一葉、作曲家・滝廉太郎といった著名人も結核で命を落としており、徳富蘆花『不如帰』(1899)、福永武彦『草の花』(1954)など、自ら結核で命を落としたの作品以外にも、結核を題材とした文学作品は多い。つまり、堀越二郎が生きた時代には身内が結核で命を落とすということは、しばしば起こったことで、宮崎監督が大正から昭和、約30年の物語を描くにあたり、堀越二郎堀辰雄の人生を融合させたのは、その時代を知ればこその発想だったのかもしれない。

 なお、結核は日本だけでなく世界でも猛威を振るっており、音楽家フレデリック・ショパン(※異説あり)、女優ヴィヴィアン・リーなどが結核で命を落としている。ドイツの小説家トーマス・マンの「魔の山」(1924)も結核を題材にした小説だが、宮崎監督が映画『風立ちぬ』に登場するドイツ人の名を、「魔の山」の主人公と同じカストルプとしたのも、偶然ではないだろう。宮崎監督は、企画書に二郎のキャラクターについて、「トーマス・マン(とヘッセ)を愛読」と記している。

 

ポール・ヴァレリー(1871-1945)
Hulton Archive / Getty Images

映画『風立ちぬ』のヒロイン・菜穂子
クレジット:(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK

映画『風立ちぬ』に登場するドイツ人カストルプ
(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK

40年前の楽曲「ひこうき雲」

 映画『風立ちぬ』の主題歌「ひこうき雲」は、松任谷由実が1973年に荒井由実名義で発表したセカンドシングル「きっと言える」に収録されていた楽曲。それから約40年の時を経た2012年12月、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーはイベントで、まだ『風立ちぬ』の制作が発表されていなかったにもかかわらず、最新作の主題歌にと公開オファーし、世間を驚かせた。

 松任谷の著書「ルージュの伝言」(角川書店刊 1983)によると、「ひこうき雲」は、松任谷が高校3年生の頃に近所で起こった高校生同士の飛び降り心中事件を受け、高校1年生のときに小学校の同級生だった筋ジストロフィーの男の子が亡くなったことを思い出し、制作した「死についての歌」なのだという。そもそも40年以上前に作られた楽曲である上、制作の経緯にしても、映画『風立ちぬ』とは何ら共通点がなかったことがわかる。しかし、『風立ちぬ』を観ると、「ひこうき雲」『風立ちぬ』のために作られた楽曲だと思えてくるから不思議だ。

 ちなみに、作中で二郎が朗読する「誰が風を見たでしょう」という一節で始まる詩は、イギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティ(1830~1894)の「風」という詩。ロセッティも、幼い頃から肺を患い病気と格闘していたという。『風立ちぬ』に登場するヒロイン菜穂子の人物像には、前述した堀辰雄の婚約者・矢野綾子、小説「風立ちぬ」のヒロイン・節子、小説「菜穂子」の主人公のほかにも、「ひこうき雲」に描かれた若くして命を落とした若者への思いや、ロセッティの人生も投影されているのかもしれない。

 

再発売された「ひこうき雲」のジャケット写真に使用されたシーン
(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK

空に思いを馳せる二郎
(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK

鈴木Pから松任谷へ公開オファー(2012年12月イベント時に撮影)

『風の谷のナウシカ』(1984)と『風立ちぬ』

 実は、宮崎監督が一つのキャラクターに複数の人物の人生を融合させたのは、『風立ちぬ』の主人公・二郎やヒロイン・菜穂子が初めてではない。宮崎監督は「風の谷のナウシカ」のコミックス第1巻のあとがきで、主人公ナウシカは、ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」に登場するパイアキアの王女、その名も「ナウシカ」と古典(「堤中納言物語」)に登場する「虫愛づる姫君」のキャラクターを融合させた人物であることを明かしている。

 『風立ちぬ』は、『風の谷のナウシカ』と同じく、宮崎監督が描いた漫画を原作にした作品。関東大震災から終戦まで、日本が歩んだ歴史を描くが、不景気、政治不信、大震災にあえぐ当時の時代背景は、現代の日本と酷似している。だが、鈴木プロデューサーによると、宮崎監督が堀越二郎を主人公に漫画連載を構想し始めたのが2008年ごろ、映画化企画が決定したのが2010年12月28日、二郎の子ども時代からヒロイン菜穂子との出会いまでを絵コンテに描いたのが、東日本大震災の前日だったという。宮崎監督が世に送り出してきた作品には、彼の時代を読む力と、自身の人生の中で触れてきたキャラクターを効果的に融合させる感性が生かされているのかもしれない。

 蛇足だが、映画『風立ちぬ』に二郎の夢の中の挑発者であり、助言者として登場するカプローニは、イタリアで初めて実用航空機を製造したカプローニ社の創業者ジョヴァンニ・バッチスタ・カプローニがモデル。カプローニ社の爆撃 / 偵察機の愛称ギブリ(Ghibli)は、スタジオジブリの社名の由来にもなっている。鈴木プロデューサーは「戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い。宮崎駿は矛盾の人である」と述べているが、『風立ちぬ』は、宮崎監督が伝えたいことを詰め込んだ、宮崎監督にとって、また『風立ちぬ』に描かれる時代を歩んできた日本に生きるわたしたちにとっても、宝箱のような作品なのかもしれない。


宮崎駿監督(2008年に撮影されたもの)
Junko Kimura / Getty Images


「オデュッセイア」に登場する「ナウシカ」(車に乗っている女性が「ナウシカ」)
Culture Club / Getty Images


二郎とカプローニが語り合う『風立ちぬ』のワンシーン
(C) 2013 二馬力・GNDHDDTK

参考文献:
堀越二郎・奥宮正武(2013)「零戦 設計者が語る傑作機の誕生」学研パブリッシング
中村眞一郎・福永武彦・郡司勝義編(1980)「堀辰雄全集別巻二」筑摩書房
田尾義昭(1997)「結核はいま」文芸社
松任谷由実(1983)「ルージュの伝言」角川書店
宮崎駿(1984)「アニメージュコミックスワイド版 風の谷のナウシカ 〈1〉」徳間書店

映画『風立ちぬ』は全国公開中
文・構成:シネマトゥデイ編集部 島村幸恵


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