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渋谷ミニシアターの草分けユーロスペース

ラジカル鈴木の味わい映画館探訪記

ユーロスペース全景
コンクリート打ちっぱなし、余計なものは一切ないクールなロビー。

 大規模再開発の渦中の僕の地元・渋谷に再び。生まれては消えた多数の渋谷の映画館。1982年桜丘に開館、現在は円山町にある劇場ユーロスペースは健在だ。37年前、桜丘に住んでいた兄を訪ねたのが初めてのシブヤ体験。得体の知れなさ、未知の世界の入り口としての“怖さ”があった。そこには僕の中の最高峰ムービー、原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』(1987)、デヴィッド・クローネンバーグ監督の『デッドゾーン』(1983)を封切ったヤバイ映画館があったから。当初、上映が危ぶまれた『ゆきゆきて、神軍』は26週で約5万3,000人を動員、いまだ劇場の興行記録は破られていない。

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今月の映画館「ユーロスペース」

 1981年、俳優座シネマテン、PARCO SPACE PART3、シネマスクエアとうきゅうが開館。1983年、シネ・ヴィヴァン・六本木。1984年、キネカ大森。1985年、シネセゾン渋谷。1986年、シネマライズ、キネカ錦糸町。1987年、銀座テアトル西友、中野武蔵野ホール、シャンテシネ1・2、シネスイッチ銀座と、まさにミニシアター・ラッシュ。上映会から始まった発展型、興行会社がチェーンとは違うアートフィルムをかけ始めた劇場、そして異業種が参入したものと、主に3つに分類できるが、ユーロスペースは最初のタイプ。

KINOHAUSビル
総合的エンタテーメントの発信源、KINOHAUSビル。

 多目的スペースからスタートし、クローネンバーグ監督の『ヴィデオドローム』(1982)から映画館に。1,000席の大劇場がいくつもあり300席でもミニシアター扱いの時代、80席の1スクリーンでスタート。いかがわしい復讐ホラー『バスケットケース』(1982)も強烈でしたナ。1994年、原監督の『全身小説家』から2スクリーンに。1997年は、特集「神代辰巳 女たちの賛歌」で何度も足を運んだ。

 2006年、劇場は現在のKINOHAUSビル3階に移転。2階にライブホール「ユーロライブ」、4階は名画座「シネマヴェーラ」。また1階にカフェ「Cafe9」と本屋「BOOKS9」&トークライブハウス「LOFT9 Shibuya」、地下には映画美学校と、ビル丸ごと文化を発信。コンクリート打ちっぱなしのシンプルな内装、劇場内の飲食は飲料水の自販機の他はなし。映画のみに集中しやすい環境だ。

 ちなみに最初にあったところは2005年に「シアターN渋谷」として生まれ変わり(ここでもいろいろ観たけれど)、2012年に閉館。桜丘の映画館は消滅した。大衆立呑酒場・富士屋本店(現在ワインバーとして、移転し復活)もない今の桜丘は、実に寂しい。

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映画文化のるつぼ

KINOHAUSビル2

 創業者・代表は1945年生まれの堀越謙三氏。公園通りに2000年まであった小劇場「渋谷ジァンジァン」のような場所を目指す。映画プロデューサーで、製作した作品は、以前取材した「恵比寿ガーデンシネマ」でヒットした『スモーク』(1995)のほか、邦画も多数製作。東京藝術大学名誉教授の肩書を持ち、2014年、フランス芸術文化勲章を授与されている。

 昔も今も、ここで初めて知る人ばかり。今をときめくスパイク・リージョン・セイルズらアメリカン・インディーズ作家。ピーター・グリーナウェイアレックス・コックスウォン・カーウァイトッド・ヘインズ瀬々敬久真利子哲也横浜聡子石井裕也などと、国内外の個性的な作家をいち早く紹介。

 また配給もする。フランソワ・オゾンアッバス・キアロスタミアキ・カウリスマキなどの作品。最大のヒットは「シネマライズ」で公開したレオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』(1991)。カラックスの『ポーラX』(1999)は製作も担当した。作品は全国のミニシアターへ優先的に配給する。ちなみに、同じ頃に配給を始めたケイブルホーグ、KUZUIエンタープライズ、シネセゾン、デラ・コーポレーション、フランス映画社、いずれも今はない。

 また、金沢に「シネモンド」という、石川県唯一のミニシアターも経営する。

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支配人 北條誠人さんに訊く

ロビー
広く感じるロビー。

 北條誠人さんは、1961年生まれ静岡県出身。大学時代、ATG(日本アート・シアター・ギルド)の作品などを観にミニシアター、名画座に通い詰め、1985年、同社の前身「欧日協会」に入社、ユーロスペースが映画館になったのち、1987年から支配人に。初期に手掛けた『デッド・ゾーン』(1983)がお好きと聞いてうれしくなる。

 「クローネンバーグっぽくないシンプルな人間ドラマで良いですよね」

 代表の堀越氏については、「それまでの映画の考え方でなく、独創的で、普通ではなかったです。興行や配給のことは公開の上でなにか問題があったら解決すればいいと、細かいことにはこだわらない(笑)。組織と結びついた考えは皆無で。また、若い人を育てようと常に教育的でした」。

チラシ
膨大な数のチラシ。

 『ゆきゆきて、神軍』公開時のエピソードとして、「毎日、行列は桜並木の下の方まで続いて、午後3時には当日の整理券は全部さばけました。8月15日がピークで、とにかく忙しくて疲れました。右翼対策として、スクリーンが切られたとき、交換できるように替えの用意をしておいたり、消防法ではNGですが、まかれては困るので場内の目立つ場所の消火器の中身を抜きました(笑)。また、大ヒットの話を聞いて喜んだ出演者の奥崎謙三さんから、獄中より菓子折りが届いたんですが、住所が“東急観光のウラの映画館”と書いてあってよく届いたなと(笑)」。

 監督やスタッフ、キャストのトークイベントは頻繁に催され、さまざまなゲストが来場したが、特に印象に残るのは若尾文子さん。

 「CMなどに出られる前で、本物の銀幕のスターで、ものすごく緊張しました。また日活の中平康監督の特集をしたとき、『月曜日のユカ』(1964)の主演の加賀まりこさんをお呼びし、舞台でお花を渡そうとしたら、今回は監督の特集なのでいただけません。わたしの特集のときにいただきますと辞退されて、やっぱり大女優は違いますね。アート系で育った人間には、まぶしすぎました(笑)」

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古くても若い劇場

ユーロスペーススクリーン
『ヴィデオドローム』(1982) 監督:デヴィッド・クローネンバーグ 出演:ジェームズ・ウッズ、デボラ・ハリー

 「今、ミニシアターはシニア産業化が進んでいて(苦笑)。うちのお客さんは比較的若いので、それがウィークポイントになる可能性もある。でもミニシアター界全体がシニア層に向いているので、ここには若い人に来ていただきたい。どんな劇場か? と聞かれたら、渋谷で最も古い、でもお客さんは若くて、古くても若い劇場ですと答えています。シニア層で埋め尽くされていると、ちょっと怖いじゃないですか(笑)。うちは、お客さんが若いから安心してください。構えずに気軽に来ていただきたいです」

 近年のヒット作は『新聞記者』、そして『カメラを止めるな!』(2018)は全国で3番目の上映館だった。ユーロスペースのみの公開作品だと、森達也監督の『FAKE』(2016)がヒットした。

スクリーン2
スクリーン2への入り口。

 「ミニシアターは、今年開館51年の岩波ホールが最古参で、創成期は、地味でも良い作品を各館で丁寧に上映していました。2000年頃から変わり、劇場の個性が表に出てきて、そして現在のネットの時代、また変り目だと思っています。映画に求めるものが多様になってきていて、存在理由が大切です」

 上映の基準はどのあたりにあるのだろうか。

 「わたしが大事にしているのは、画(え)が強いことと言いたいことがハッキリしていることです。そういったものはヨーロッパの中心でなく、ロシア、スペインという周縁にある感じがします。また、同じような傾向だったら、年齢を重ねた監督よりも若い監督の方を選びます」

 近年の傾向を聞くと「音楽やアートやジャーナリズム、異ジャンルが映画に入り込んでいるもの、映画が越境して異ジャンルを扱っているものが面白いです。配給も行った『みんなのアムステルダム国立美術館』(2014)のときは、オランダの美術館の学芸員とリアルタイムでトークし、『悲しみに、こんにちは』(2017)ではスペインにいる監督とお客さんの交流をしました。これからもこういうネット環境を利用した機会を増やしたいです」。

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渋谷を担うニュー・メルティングポット

カフェ
1階のCafe9、奥はテーブルの周りに映画関係書籍が並ぶBOOKS9。関係者が利用していることも多い。ランチのカレーが美味しい。

 1960年代後半から1970年代にPARCOや西武ができる以前、渋谷一の繁華街は、百軒店(ひゃっけんだな)だった。昭和初期、渋谷には渋谷駅そばの「渋谷館」、百軒店の「渋谷キネマ」などがあり、以降多数の映画館が狭いエリアにひしめき、その後も酒場、ジャズ喫茶やロックバー、ストリップ劇場などが林立し、文化人・芸術家に愛された。「あんなところに住めるの?」と、必ず聞かれたけど、僕は1990年代に4年間このエリアに住み、ノスタルジーの中にどっぷり浸かっていた。2010年には、ユーロスペースは地域密着型特集上映会「百軒店・シネマ・ウィーク」を開催したり、その後もさまざまな特集上映やトークショーなどのイベントを行っている。

 「海外から東京に来る人たちが、一番見たい街は銀座でも新宿でもなく、渋谷なんです。渋谷は、いろんな表情を持っています。桜丘は、時代が良かったのかもしれないけど、クセがなく楽しかった。駅から近いのに、国道246号線を渡るとのんびりとして、自由な空気がありました。円山町は、カオスで何でもアリなのが魅力ですが、ここに来てから渋谷の再開発を実感しました」

百軒店
隣接する百軒店商店街、道玄坂側のアーケード。

 東急東横線が地下に潜り複雑になり、地上での乗り換えが減り、人が素通りして降りない。駅周辺は開発でファッションビル化して、きれいだけど同じような店ばかり。歩いて10分ほどかかる円山町までなかなか来ない。街とメディアが人を引っ張る流れが、今の渋谷にはない。猥雑さが減り、アバンギャルドやサブカルチャーなど、渋谷の街が育んできた独自の文化が薄れた。そこにあらがってほしい。

 PARCOや東急Bunkamuraがブロードウェイなら、円山町はオフ・ブロードウェイ。演劇人やミュージシャンなど面白い人たちが集まる。これからの渋谷文化は、どんなトンでもないプログラムも浮かずに馴染んじゃう円山町からの発信ではないか。住んできた百軒店、道玄坂、円山町、神泉、ヤバさをはらんだ刺激が、僕をここへ留めてきた。

 「再開発がある程度落ち着けば、また新しいもの好きな、アンテナ人間が流れてくると思います。近くの、神泉の商店街は新しいオーナーのお店が増えていい感じですよ。カフェ・ブリュはお薦めです。仕事の話をしながら呑むことが多いので、落ち着いて話ができる雰囲気が好きです」

 道玄坂、百軒店、円山町 on my mind. やっぱり最高。映画鑑賞と併せて是非どうぞ。

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映画館情報

ユーロスペース
東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUSビル3階
03-3461-0211
公式サイト
Twitter:@euro_space

ラジカル鈴木 プロフィール

イラストレーター。映画好きが高じて、絵つきのコラム執筆を複数媒体で続けている。

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