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ミニシアターは日本にとって「重要な文化財産」白石和彌監督

がんばれ!ミニシアター

白石和彌監督
白石和彌監督 - (写真は2019年4月取材時のもの)

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い発令された、緊急事態宣言を受けて、現在全国の映画館では、休館など上映自粛が広がっている。なかでも経営規模の小さなミニシアターは大きな打撃を受けて閉館せざるを得ない可能性もある危機的な状況だ。今だからこそ、ミニシアターの存在意義について、今の日本映画界を担う映画人たちに聞いてみた。

 2013年に発表した『凶悪』で数々の映画賞を受賞した白石和彌監督にとって、ミニシアターは多くの巨匠たちが創り上げてきた作品から刺激を受ける場所だったという。

 「僕にとってのミニシアターは、名画座の印象が強くて。文芸坐さんや早稲田松竹で、昔の邦画ばかり観ていましたね。名画座は、いろんな監督の特集を上映しているところが多くて。若松孝二監督や、大島渚監督、小林正樹監督、亡くなった大林宣彦監督など、いろんな監督の作品に圧倒されて、刺激を受けました。最近ではドキュメンタリー映画や、シネコンでかけられない傑作を観に行くことが多いです。 最近では『象は静かに座っている』(2018)や『サタンタンゴ』(1994)が印象的でしたね」。

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 白石監督の話す通り、上映時間7時間18分という驚異的な長さの作品の場合、1日に一回しか回すことができない点からシネコンではかかることはない。利益よりも、傑作をかける、という映画愛を優先させる気骨のある館主たちが近年のミニシアターを支えてきた。

 若松監督に師事していた白石監督は、2018年に若松プロの映画に出演してきた俳優たちと共に青春群像劇『止められるか、俺たちを』(2018)を発表。撮影前に、役者たちに観るように伝えていた作品もまた、かつて名画座で観た『新宿泥棒日記』(1969)だったという。「僕らが普段観ていた映画とは全然違うし、なんでこんなにめちゃくちゃなのに、なんでこんなにエネルギーがあるのか衝撃を覚えるんです。あの映画を観ていると、若松さんや大島さんが新宿ゴールデン街で飲んでいた60年代の熱気が伝わってくるんです」

 完成した同作が公開の時は、主演の井浦新やスタッフたちと共に全国のミニシアターを巡った。「昔は観客と監督が、舞台挨拶で喧嘩になることもあったらしいんです。でもそれはやっぱり観客との距離だと思うんですよね。その熱気がまだあるのがミニシアターだと思います。僕が『止められるか、俺たちを』で地方の映画館を回らせていただいた時も、お客さんとのQA時間を通して質問の答え方や、お客さんたちとの接し方など、たくさん学ばせてもらいました。広島の八丁座さんに行ったときも『私たちは映画が好きだから、いいことだけじゃなくてダメなところもちゃんというの』って言っていただいて。毎回タイトルが覚えられないって怒られたりして(笑)。最高だったタイトル聞いたら『翔んで埼玉』って言っていました(笑)。そんな風に上映後の食事会ですごく鋭いことを突っ込んでくださる支配人さんがいて。厳しいけど温かい」。

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 ミニシアターへの思いは、2012年に亡くなった若松監督から受け継いだものも大きいと白石監督は振り返る。若松監督は、1983年2月に名古屋駅前にシネマスコーレを立ち上げた。シネマスコーレは副支配人・坪井さんの痛切な窮状を訴えたことが、ミニシアターを守るムーブメントのきっかけとなった劇場で、多くの若手監督の登竜門となっている場所だ。

 「若松監督は生前、シネコンがどんどん増えていくのは間違いないが、シネコンでいきなりデビューできる若手監督などいないのだから、ミニシアターは必ず残さなければいけない。日本だけでなく世界の名だたる映画監督だってアートボックスと呼ばれる日本でいうミニシアターからデビューしていく。このままだと日本はメジャーな映画しか流れなくなってしまう……と長い間窮状を訴えていた。文化庁の映画への助成金は制作側には出すシステムがあるが、ミニシアターにも助成金が回るシステムを作り、ミニシアターが多くの若手監督の作品や低予算映画をかけてもらえる貴重な場所であるべきだという、若松監督の言葉は忘れられません」。

 「新しい才能と出会えるのが、ミニシアターの魅力」という白石監督は、「大きな劇場と違う映画の価値観があるということを知ってもらいたい」という。映画というのはスクリーンで知らない人たちと一緒に観るという一つの体験であり、隣の人がどんな風に映画を観ているかとか、やっぱり生ものですから。監督にとってスクリーンで映画をかける大切さを訴える。「僕ら監督も自分たちの映画をかける場所としてではなく、地域や文化にとってこれだけ貢献している存在だということを宣伝してこなかった責任はあると思います。今回、これだけのことが起きて分かったからこそ、これから自分たちの映画が日本にとって重要な文化財産だということをきちんと認識していくべき。それによって映画の地位が上がり、我々作り手もまたかけてもらえるような映画を作ることができる。たとえ国が分かってくれなかったとしても、分かってくれる人を少しずつ増やしていくことが重要だと思うんです。このピンチをいかにチャンスに変えていくかを課題として切実に感じています」と訴えた。

 かつてミニシアターは、若者たちの文化を支える中心だったこともある。これからの映画産業の未来のため、多くのミニシアターがこの窮地を乗り越えていけることを願うばかりだ。(森田真帆)

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