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米最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグさん、ドキュメンタリーで明かされる素顔とは

左からベッツィー・ウェスト監督、ジュリー・コーエン監督
左からベッツィー・ウェスト監督、ジュリー・コーエン監督

 米最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグさんを描いた話題のドキュメンタリー映画『アール・ビー・ジー(原題)/ RBG』について、ジュリー・コーエンベッツィー・ウェスト共同監督が、5月4日(現地時間)、ニューヨークのAOL開催イベントで語った。

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 結婚後、子育てをしながら女生徒の少なかったハーバード大学やコロンビア大学の法科大学院で学んだルースさん。当時は女性であることから、なかなか職にもつけなかったが、教授として民事訴訟手続きなどを教えるまでに。また、(アフリカ系アメリカ人初の最高裁判所判事の)サーグッド・マーシャルさんの影響を受け、男女平等と女性の権利向上を主張しながらアメリカ自由人権協会のボランティア弁護士として働いた。1980年代にジミー・カーター元米大統領からコロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所の判事に任命され、1993年にはビル・クリントン元米大統領から米最高裁判事に任命された。

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 2015年、ルースさん宛てに映画製作を希望するメールを送ったコーエン監督は、彼女から「まだよ!」と返信をもらいショックを受けたという。だが、「確かに『まだよ!』と言われたけれど、『No!』とは言われなかったわ。そこでわたしたちは、彼女に近い人物と話したりしながらリサーチを続け、再びルースに手紙を送ったの」とウェスト監督。そこには、今すぐにインタビューをする必要はなく、あなたを題材にした映画の製作を開始したいのだということを記したそうだ。「彼女の弁護士時代のクライアント、仕事仲間、友人など、わたしたちが取材したい人たちのリストアップもしたの。彼女はすぐに『あなた方にインタビューしてもらうまで、少なくともあと2年(最高裁判所での仕事、イベントの参加、本の執筆で)かかるわ』と返事をしてきたわ。でもその下に、『もし今からインタビューを始めるならば、このリストの他にこんな人々にも取材してみたらどう?』とも書かれていて、結局それがイエス(撮影の許可)ということだったのよ」と経緯を明かした。最終的にはルースさんのオフィスで1年前にようやく取材できたそうだ。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ
サンダンス映画祭で行われた本作のプレミアで語るルースさん - Robin Marchant / Getty Images

 実際にルースさんが関わった男女平等に関する裁判については、「それほど昔の話ではないけれど、1970年代の初期には女性は夫の承諾を得なければクレジットカードも作れなかったし、女性は妊娠したことで解雇されたケースもあったの。(同意なく)強制的に妻をレイプしても、夫は訴えられないこともあったわ。国内の多くの法によって、女性は準国民として扱われていたのよ。当時は、それが当然だと思われていたしね」とウェスト監督。ルースさん自身も差別を受けていたそうで、「彼女は大学のロースクールでクラスのトップであったにもかかわらず、(卒業後)仕事に就くことさえできなかったの。だから、差別がどういうものか理解していて、女性向上のプロジェクトに関わり、組織的に差別を崩していったのよ」と説明した。差別を受けていたルースさんが、司法に関わり、裁判で不平等を正していく姿は清々しく見てとれる。

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 そんなルースさんには、彼女を支える素晴らしい夫がいたことも忘れてはならない。コーエン監督によると、「ルースとマーティンは1950年代、コーネル大学時代に出会ったの。当時の彼女はかなりゴージャスで、多くのデートチャンスがあったと思うわ。でも彼女が選んだのは、彼女が賢いことを気に入ってくれた最初の男性マーティンだったのよ。彼は彼女のことを100%サポートし、自慢さえしていたわ」。続けてウェスト監督も、「1970年代にルースが米最高裁判所での裁判で勝訴し始めると、すでに弁護士として成功を収めていたマーティンは、家事をこれまで以上にこなし、2人の子供の面倒も見ていたそうなの。彼と子供たちは、料理が下手なルースをキッチンから追い出して、料理も作っていたらしいわ(笑)。彼女がワシントンでコロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所の判事に任命された際も、マーティンは自身の仕事を辞めて、彼女に付いていったのよ」と2人の素晴らしい夫婦関係を明かした。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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